存在意義

 

どこにいるかで求められることは変わる

 

とはいうけどまず

そこに居ること 以外に

何か期待されているのか否かは考えなきゃいけないけれども。

 

リーダーはめんどくさい と高校まで普通の人は思ってたのではないだろうか

なのに就活では 何かのリーダーをやっていました リーダーシップがありますとアピールする

それは悲しい

 

もちろん本当の意味のリーダーは素晴らしい

自分の負担を承知でやるのも素晴らしいし

そうでなく心からやりたいやろうとおもうならもっと素晴らしい

 

でも同じグループにリーダーシップのあるひとが居たなら

それは自分がほかにやるべきことがあるはずで

自分の場合はむしろ自分がリーダーにならざるを得ないなんてことがあれば

微妙な組織かもねとうたがう

 

 

とにもかくにも

もとめられることはそのグループでちがうから

やわらかく対応したいね

 

でも

 

それをくりかえしてたら自分の強みは何なんだという気がして

広く浅い人にさらになってしまうような気がして

それはそれで悲しい

 

 

 

 

 

 

 

あれっ

こんなはずでは

 

ブログをはじめたのは長い文章を書いてみたい

ちゃんと考えたことを細かく書き留めておこう

と思ったから

ですが

 

いざやってみると

めんどくさい(あれっ)

 

きづいたこと

 自分の中の矛盾

 文章かいてる人てすごい

 やってみないとわっかんないなぁ

 

以上

大学生

大学生

 

中学や高校の頃は、生徒会や部活、受験勉強と

目の前にあるものに必死になっていたら終わっていたけど

 

大学はちがいますね。

いつからこんな人間になったんだろうと。

忙しいほうがいいのかもしれないと今はおもうけれど、

実際に忙しくなったらそんな日々は好きではなく。

 

何を失ったのか考えてみる

 

負けん気

周りの人に負けたくない

自分をもっとよくみられたい

というきもち

 

目標

これを達成して期待にこたえたいと

おもうこと

あんなひとになりたい これをしたい

 

熱意

なぜかわからないけどどこからともなく湧いてくる

「がんばらなくちゃ」

というやつ

 

たぶんだけど、いる世界やみえる世界がひろがりすぎて、

評価の軸がふえたこと が、

よくもわるくも性格を変えた。

いなか出身者あるある。

そのまんま、いなかのよいとことわるいとこではないだろうか

というと言いすぎですね

 

 

 

トラウマ

トラウマの話。

 

トラウマってドイツ語なんですね。

虎馬とかそんな語源を想像しました。馬鹿、的なね。

 

トラウマは、小学生の時に担任から性被害にあったことです。

 

このトラウマは自分が思ったより、自分の根っこにずっと息づいています。

 

何がっていうのを、言葉で表現するの難しいですけど、

あれ以来、人を本当に好きになるということがたぶんなくなりました。

と表現しています。

 

それは、信頼してた人から裏切られたとかそういう話ではなくて、

あ、おとこのひとは、みんなこういう欲があるんだな

というそのときの印象が強すぎて、

そう思うほど、

このひとも、わたしの中身を好きなわけではない

というのがわかるようになります。

 

(だからといってナイスバディなわけでは決してない)

 

あるいは、そうでなくてもそう思い込む

 

事実だけなら、至極当然の話であって、

気持ちの問題であることに間違いないんですけど

 

どうしてもそれでもいい、とは思えず

年々贅沢になっている気がします

 

 

あと、自分を守らなければいけないという思いが

早いうちに失くなりました。

初めてのいやな思い出に、むしろ上塗りしたいと思うようになりました

 

上塗りしようと思っても、綺麗な思い出が塗られたことはなく

重ねるほどバリア的何かが厚みを増しました。

 

結果的には良かったのかもしれません

 

あんまり簡単に信じないほうがいい

当たり前のことを今更勉強しています。

 

 

 

 

半分くらいになったかも

 

「自分のことをもっと大事にする」という言葉の意味を、

最近やっと理解しました。

 

どんなにその一瞬が幸せだと思いこんでも、

心の中の何かが少しずつ、絶対に、削られています。

 

ひとのことを、心から好きになれるひとが、心から羨ましい

 

自分の心まで見てほしいと思えば思うほど、

自分が相手の心を直視しようとしてないことに気付かされる。